NEAR Protocolほど、技術的な完成度と市場評価の乖離が極端に進んだL1は少ない。時価総額は2022年のピーク約110億ドルから2026年初頭には約14億ドルへと縮小し、TVLもピーク近辺の約5億ドルから1.5億ドル前後まで後退している。一方で、同じ時期にNEAR Intentsの累計取引量は200億ドルを突破した。この「価格は崩壊し、特定領域の利用は指数的に伸びる」という分裂こそが、現在のNEARを投資対象として見るときの核心になる。
本稿では定義の解説ではなく、なぜこの分裂が起きているのか、NEARがどこで戦うことを選び、どこで戦うことをやめたのか、そして投資家が何を指標にこの賭けの成否を判定できるのかを整理する。
AI研究者が決済の壊れ方を見て作ったチェーンという出自
NEARの設計思想を理解するには、創業者の経歴から入るのが最も早い。共同創業者のIllia PolosukhinはGoogleの機械学習研究者であり、現代の生成AIの基盤となったTransformerアーキテクチャを提示した2017年の論文「Attention Is All You Need」の共著者8人のうちの1人である。「基盤的なLLM論文を共著した人物」かつ「数十億ドル規模のL1を運営する人物」という組み合わせは、業界で彼一人しか存在しない。
重要なのは、NEARがブロックチェーンから始まったプロジェクトではないという点だ。PolosukhinとAlexander Skidanovは2018年にNEAR Protocolを設立する前、2017年に「機械にコードを書かせる」スタートアップとしてNEAR AIを立ち上げている。そのモデルを訓練するため世界中のコンピュータサイエンス学生にコード断片を書いてもらおうとしたところ、国境を越えた貢献者への支払いが機能しないという壁にぶつかった。グローバル決済が壊れていたのだ。AIのための支払いインフラが存在しないという実務上の欠落が、ブロックチェーンへの転身を促した。
この出自は単なる逸話ではない。2024年以降にNEARが「AIエージェントのための決済・実行レイヤー」へと回帰していくのは、創業時に直面した「機械の経済活動に決済レールがない」という問題に戻っているにすぎない。Polosukhinが2026年3月にCoinDeskで述べた「ブロックチェーンのユーザーは人間ではなくAIエージェントになる」という発言は、思いつきの未来予測ではなく、創業動機の延長線上にある。
Nightshadeシャーディングの実体 — 単一チェーン体験を保ったままステートを割る
NEARの技術的な独自性はコンセンサスよりもシャーディング設計にある。多くのシャード型ネットワーク(Harmony、Zilliqa、Elrondなど)が各シャードを別個のチェーンとして維持するのに対し、Nightshadeにはシャードチェーンが存在しない。全ブロックプロデューサーとバリデータが単一のブロックチェーンを構築し、そのメインチェーンのステートをn個のシャードに分割する。各ブロックプロデューサーは担当するシャードに対応するステートのサブセットだけをローカルに保持し、その部分に影響する取引のみを処理する。コンセンサスはheaviest-chain方式を採り、その上にattestationを用いた有限性ガジェットを載せ、フォーク選択ルールには干渉しない構造で複雑性を抑えている。
2024年8月にメインネット稼働したNightshade 2.0の核心はステートレス検証の導入にある。それ以前はバリデータがNEARの全ステートをローカルに保持していたが、検証に必要な情報をチェーンから直接取得できるようになった。これにより各バリデータは6つのシャード全てと同期する必要がなくなり、単一シャードのみを追跡すればよくなった。NEAR側の説明では、この変更でノード運用コストが下がり、取引実行は約400%高速化し、シャード容量が拡大した。
設計の方向性も変化している。Phase 2は2020年にローンチした当初のNightshadeアーキテクチャからの転換であり、ZK技術の成熟を見据え、少数の高性能マシンが取引を実行して証明を生成し、より大規模なバリデータ集合がその証明を検証するという構造に向かっている。これはEthereumのZK-rollupロードマップと収斂する発想で、NEARが当初の「独自シャーディングで全部やる」路線から、業界共通の方向へ歩み寄っていることを示す。2026年6月には動的リシャーディング(ネットワーク需要に応じてシャード数を自動調整する仕組み)を導入するアップグレードが予定されている。
バリデータ報酬とネットワーク収益の不均衡が招いたインフレ半減
NEARの価格が長期的に圧力を受けてきた根本原因は、トークン経済の数式が成立していなかった点にある。プロトコルはバリデータに年間約1.4億ドル相当のトークンを支払っていた一方、TVLは1.62億ドル規模、2020年のローンチ以降の累計収益はわずか1700万ドルにとどまっていた。直近1ヶ月の収益が約25.9万ドルという月もあった。昨年バーンされたトークンは供給の0.1%にすぎず、新規発行を相殺するには遠く及ばなかった。発行で支払う額が、ネットワークが稼ぐ額を桁違いに上回っていたのである。
この構造を是正するため、2025年10月30日にインフレ率が5%から2.5%へと恒久的に半減された。年間で約6000万トークン少なく発行されることになり、ステーキング率が総供給の半分という前提のもとで、バリデータ報酬は約9%から約4.75%へと下がった。発行スケジュールは年間約3220万トークン(現行価格で約3930万ドル相当)まで圧縮されている。
ただしこの決定にはガバナンス上の禍根が残った。インフレ削減は当初のコミュニティ投票が否決されたにもかかわらず実施されており、「分散型ガバナンス」を掲げるネットワークがどう意思決定すべきかという議論を呼んだ。投資家心理の面では、トークン経済の持続可能性が改善したという評価と、ガバナンスの建前と実態が乖離しているという警戒が同居している。
トークン自体の役割は単純なガバナンストークンに留まらない。ガス代の支払い、バリデータによるステーキング、そしてNEAR独自のストレージステーキング(state rent)に使われる。後者は開発者とユーザーが自分のアカウントデータが占めるストレージ領域に対し少量のNEARをロックする仕組みで、スマートコントラクトのデータ保存に対し100KBあたり1 NEARのレートが課される。ネットワーク利用が増えるほどこのロック需要が増える設計になっており、他のL1にはない需要連動の供給吸収メカニズムとして機能する。
NEAR Intentsという実需 — 価格と乖離して伸びる唯一の数字
現在のNEARで唯一、利用が一貫して伸びている領域がNEAR Intentsである。これはユーザーが「Ethereum上のUSDCをSolana上のSOLにスワップしたい」といった望む結果だけを指定し、第三者のソルバーがバックグラウンドで最適な経路を見つけて実行する、意図ベースのクロスチェーン実行レイヤーだ。ユーザーはどのチェーンが裏で何をしているかを意識する必要がない。
伸び方が尋常ではない。NEAR Intentsの取引量は2025年11月に累計50億ドル、2026年1月に100億ドルへ倍増し、その約5ヶ月後にさらに倍増して200億ドルを突破した。DefiLlamaのデータでは累計取引量190億ドル超に対し約3200万ドルの手数料を生成しており、直近の動きを見ると24時間で約8560万ドル、7日間で約6.1億ドル、30日間で20億ドル超が流れている。ローンチ以降1570万件超のスワップを処理し、その大半が2025年後半に集中している。
この実需が2026年2月に価格と直接結びつく構造変化を迎えた。2月23日にNEAR Intentsの手数料転換メカニズムが起動し、Intents経由で発生する手数料の100%がNEARの直接購入に使われるようになった。取引量に比例して市場の買い圧力が生まれる仕組みである。ベースレイヤーのガス手数料が70%バーンされるのに加え、このIntents買い戻しが発行を相殺する第二の経路として機能する。BitMEX共同創業者のArthur HayesがNEARを$HYPE、$ZECと並べて暗号資産の「ホーリートリニティ」と呼んだのも、この時期のクロスチェーン取引量の伸びと連動した価格上昇を受けてのものだった。
なぜユーザーがNEAR Intentsを選ぶのか。理由はブリッジレスである点に尽きる。従来のクロスチェーン体験は中央集権的またはトラスト前提の橋渡し役を必要とし、その橋がハッキングの最大の標的になってきた。NEAR Intentsはソルバーネットワークと検証スマートコントラクトで構成され、橋を介さずに複数チェーン間の取引を実行する。AIエージェントとの相性が良いのは、エージェントが「何を達成したいか」という意図を表明するだけでよく、クロスチェーン実行の機械的な手順を理解する必要がないからだ。意図ベースのアーキテクチャは、機械が経済活動の主体になる世界に構造的に適合している。
AIインフラ層 — TEEとShade Agentsが支える「検証可能な機械の経済」
NEARが「AIエージェント決済レイヤー」という戦略を支えるために構築しているのが、ハードウェアに根ざした信頼インフラである。中核にあるのがTEE(Trusted Execution Environment)を使った検証可能なAI推論だ。
2025年後半、NEAR AIはPhala Networkが構築したSDKによる最初のTEEインフラを稼働させ、オープンソース化した。NEAR AI Hubで推論を実行する全AIエージェントがプライベートであることを検証する用途で使われる。データを盗まれない保証も、機密入力がモデル訓練に使われない保証も持たない既存の多くのAIエージェントとは、ここで一線を画す。エージェント開発者はIronClaw(NEARのオープンソースエージェントフレームワーク)を使い、Intel TDXゲートウェイとNVIDIA Confidential Computingによってシリコンレベルの分離を施したマイクロ環境を構築する。IronClawエージェントがワークフローを実行する際、ホストOS、GPUオペレーター、さらにはNEAR AIのコアプロトコル自身までもが実行コンテキストから暗号学的に締め出される。完了した推論サイクルごとにハードウェア署名されたattestation証明書が生成され、モデルが改竄なく意図通り実行されたことを証明する。通常のボットが単一チェーンのスクリプトに制限されるのに対し、NEARのShade Agentsはマルチチェーンのスマートコントラクトとして動作する点が差別化要因になっている。
ただし、この技術スタックを過大評価するのは危うい。TEEに依拠したAI推論は検証可能性の問題に対する現状で最も実用的な解だが、完全ではない。2026年の研究で、部分的TEEシールド推論を高速化するために広く採用されていた最適化(事前計算された静的な秘密ベース)が鍵再利用の脆弱性を生むことが実証された。この攻撃はLLaMA-3 8Bモデルの秘密順列とモデル重みを約6分で復元し、405Bパラメータ構成にもスケールする。性能を優先した設計上の近道が、TEEとLLMの統合に致命的なセキュリティ後退を持ち込みうるという事実は、NEARのAI戦略が依拠する土台そのものに不確実性が残ることを示している。NEARのAIインフラは方向性として筋が通っているが、その安全性は前提としている暗号ハードウェアの成熟度に縛られる。
競合との差は「TPS競争からの撤退」にある
NEARを汎用L1の文脈で他チェーンと比較すると、論点を見誤る。NEARは生のスループットで競争することを実質的にやめ、AIネイティブな実行レイヤーおよびチェーン抽象化のハブとして自らを位置づけている。
Ethereumとの差は、スケーリングをどこで処理するかにある。EthereumはL2にスケーリングを外部委託する一方、NEARは基盤層で内製のシャーディングによって低コストとスケーラビリティを確保する。ただしこの初期の優位は市場全体のコモディティ化で薄れた。Ethereum L2の取引手数料は0.001〜0.05ドルまで下がり、2023年比で90%以上低下している。NEARが当初解こうとした「手数料が高い」「遅い」という問題は、L2エコシステムとSolanaの台頭でほぼ解消されてしまった。これがNEARの初期ナラティブが効力を失い、価格が forward-looking な成長期待を剥ぎ取られた構造的背景である。
Solanaとの差はアプローチの哲学にある。Solanaが「単一の高性能チェーンと高スペックなバリデータ」でハードウェア駆動の最適化を追求するのに対し、NEARは動的シャーディングによって軽量ノードと長期的なスケーラビリティ、一貫したUXを優先する。SuiやAptosといったMove言語ベースの新興高速L1とは、NEARはより古い世代(2020年ローンチ)であり、UXとAI・チェーン抽象化に特化することで正面衝突を避けている。
問題は、その差別化の窓が狭まりつつある点だ。チェーン抽象化はもはやNEAR独自の概念ではない。Solanaは独自のクロスチェーン機能を拡張しており、Ethereumには第三者の抽象化レイヤーが存在する。NEARが先行したこの領域に競合が流入しているため、「チェーン抽象化のハブ」という位置づけだけでは差別化を維持しきれない。NEARがDeFiの流動性の深さでEthereum L2に依然及ばないことも、汎用的な資金の受け皿としては力不足であることを示している。
エコシステムの実像 — チェーンは稼げず、その上のアプリは伸びる二層構造
NEARのエコシステムには、投資家を混乱させる二層構造がある。チェーン本体の収益は極めて薄い。年間収益は約75.6万ドルで、P/F比(時価総額を手数料で割った値)は3589倍に達する。これはカテゴリー平均に対して桁違いのバリュエーションプレミアムであり、現状の手数料収益に対して価格が過大であることを端的に示す警告指標だ。利用が伴わなければ、この乖離は価格調整によって埋まる方向に働く。
ところがアプリケーション層は別の動きをしている。主要8エコシステムの分析で、価値がチェーン自体ではなくアプリケーション層に流れる傾向が確認されており、NEARはアプリ収益で+190%の増加を記録した。ユーザー指標もピーク時には月間アクティブアカウント4400万(前年700万から急増)、1日の取引量800万超を記録している。月間アクティブユーザーで見るとKAIKAIが3170万、Here Walletが420万、Sweat Economyが160万、Playemberが50万と、アジア圏のコンシューマーアプリとSocialFi・GameFiが厚い。ステーブルコインも2024〜2025年に7億ドル相当が流入し(前年比20倍)、DeFi TVLは8800万ドルから4.3億ドルへ拡大した時期があった。
この二層構造が意味するのは、NEARを「チェーンの手数料収益」だけで評価するとアプリ層の成長を見落とし、逆に「アプリのMAU」だけで評価するとチェーンが価値を捕捉できていない事実を見落とすということだ。どちらか一方の指標で結論を出すと判断を誤る。
投資ビークルと機関フロー — どこから資金が入っているか
機関投資家のアクセス経路は限定的ながら整いつつある。欧州上場のBitwise NEAR Staking ETP(上場投資商品)は運用資産が約4000万ドルに達し、1週間で700万ドルの流入を記録した時期があった。米国ではGrayscale Near Trust(OTC Markets、ティッカーGSNR)という単一資産のNEAR投資ビークルが存在する。ただしGrayscaleはIPO計画を一時停止しており、再開準備は2026年第4四半期より前には始まらない見込みとされている。
これらのフローが示すのは、NEARに対する機関資金が「ステーキング利回りを伴う規制下のエクスポージャー」という形で少額ずつ入り始めている一方、米国での本格的な投資商品化はまだ前段階にあるという状況だ。同時に、NEARの価格はナラティブの転換に敏感で、Arthur Hayesのような著名人の売却が急激な売り圧力を引き起こす感応度の高さも併せ持つ。機関の安定資金と個人・著名人主導のボラティリティが共存しているのが現状の資金構造である。
NEARが既に経験した失敗 — Rainbow Bridgeとトラストレス設計のトレードオフ
将来のリスクを論じる前に、NEARが既に通過した失敗を確認しておく価値がある。クロスチェーンを売りにするチェーンにとって、ブリッジの安全性は事業の生命線だからだ。
Aurora(NEAR上のEVM互換レイヤー)が構築したRainbow Bridgeは、2022年に複数回の攻撃を受けた。5月1日には攻撃者が偽造したライトクライアントブロックを送信する手口で攻撃を仕掛け、8月にも偽造したNEARブロックを用いた攻撃が行われた。いずれも自動watchdogが31秒以内に検知して阻止し、ユーザー資金は失われず攻撃者が保証金を失う結果に終わった。同年6月にはAurora Labsがホワイトハットハッカーに600万ドルのバグバウンティを支払い、2億ドル超が失われ得た重大な脆弱性に対処している。
注目すべきは、Auroraが安全保証金の引き上げによるセキュリティ強化計画を、それが「よりパーミッションド(中央集権的)になる」という理由で意図的に破棄した点だ。トラストレスで分散的であり続けることと、攻撃面を絞ることのトレードオフを、開発側が前者を優先する形で選択した。この判断はNEARの技術思想を象徴している一方、橋を増やすほど攻撃面が広がるという構造的な脆弱性を残した。
その構造は現在も続いている。2026年4月、Litecoinのゼロデイバグ(MWEBチェーンの再編成)がNEAR Intents経由で約60万ドルの損失エクスポージャーを生んだ。チームは損失補填を約束したが、25以上のネットワークを接続するチェーン抽象化は、接続先すべての障害面を継承する。クロスチェーンを実需の中核に据える戦略は、同時に他チェーンのバグを自らのリスクとして取り込むことを意味する。
このチェーンが解いた問題を、市場は最終的に求めるのか
NEARへの投資判断は、技術の優劣ではなく一つの賭けの成否に帰着する。AIエージェントがブロックチェーンの主要なユーザーになり、その取引のレールをNEARが握る——この命題が当たれば、現在の14億ドルという時価総額は実需に対して過小評価ということになる。エージェント取引が2022〜2025年の消費者向けLLM利用と同じ速度で伸びれば、そのトラフィックのレールを持つチェーンは意味のある価値を捕捉する。外れれば、NEARは市場が結局求めなかった問題を高い完成度で解いたL1として記憶されることになる。
この賭けの成否を投資家が判定するための指標は明確だ。最優先で見るべきはNEAR Intentsの累計・月次取引量であり、これがNEARの実需を最も正直に映す。ただし取引量の集中度は必ず確認する必要がある。200億ドルの相当部分が少数の大口トレーダーや一握りのチェーンペアに由来するなら、成長ストーリーは脆い。次に手数料バーンとIntents買い戻しが新規発行を相殺し、純デフレに到達するかどうか。これはEthereumが2021年のEIP-1559で辿った「手数料転換と発行削減」の組み合わせと構造的に同じであり、価格が上がるほど各買い戻しが吸収する発行量が増え、デフレへの障壁が下がる自己強化の動学を内包している。
そのほか、P/F比が利用拡大によって低下するのか価格調整によって低下するのか、ステーキング率が約50%の水準を保てるか、DEX取引量とユニークアドレスが投機ではなく組織的な成長を示すか、NearcoreとNEAR Intentsリポジトリへのコミットが継続しているか。これらを並行して追うことで、NEARの「AIエージェント決済レイヤー」という賭けが進行しているのか後退しているのかを、価格チャートに先行して読み取ることができる。